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祇園祭り 京都
京都の祇園祭り GIONMATSURI を、京都に住む筆者が写真レポートしてみます。京都の夏の風物詩祇園祭り。あえて一つ一つの鉾、山をめぐってみると、いままで、ぼーっとみていたのが、なるほどなっとか思ったりします。京都 祇園祭り
祇園祭りの歴史といえば?祇園祭り日程は?
今はしてないけど、昔は、鉾の上から、ちまきをまいたはったよ。今、ホコ天の人がものすごく多いから、パニックになるから、ちまき、まかあらへんようになったけど。
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2010年07月23日
鉾の屋根方の職業は? 京都祇園祭
山鉾巡行、御池通でとった写真だけど、屋根方っていうの?屋根の上に2人−4人くらい乗っていて、
一番高いところから、見物人をぜっけいかなとかなんとかいってそうな感じで
きもちよさそうに座ってる人。
高さは、3階はあるね。
きもちよさそうだけど、危険そうだ。
で、年寄りに聞いたら、
ありゃ、トビだ。電線とかにひっかからないように見ているんだ、
って。
なるほどね。鳶職の方でしたか。
さすが、年寄り、物知りだね。
なるほど!普通
の人が、あんなとこにのぼれない。
ラベル:
鉾
屋根方
職業
京都
祇園祭
posted by 祇園さん at 14:52|
山鉾巡行の写真
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黒主山が祇園祭にあるのはどうして?
黒主山くろぬしやまは
大伴黒主を祀り、
謡曲 志賀を題材にしている。
といわれても、大伴黒主も知らないし、謡曲志賀も内容を全然知らないので、調べてみたのは以下。
黒主の経歴は、近江国滋賀郡大友郷の人。貞観年間、園城寺神祀別当となる。鴨長明『無名抄』に没後近江国志賀郡に祭られたとの記事がある。六歌仙の一人で、平安時代の歌人だけれど、生没年不詳。
(「宝生の能」平成13年3月号より)謡曲 志賀のお話はーー。
時の帝に仕える臣下が、江州志賀に今を盛りの山桜を見に行きます。そこへ、重い薪に花を折り添えた老若二人のきこりが現れて花の木陰で休むので、それは花見のためか、又は薪が重いからか、と臣下は老人に尋ねます。すると老人は、大伴黒主の歌を引いて薪に花を添えたわけを話し、花陰に休むことは卑しい身に不似合いだけれど、黒主を偲んでのことだから許してほしいと言います。そして、延喜の聖代には歌道が盛んであったことと共に歌の徳を讃え、自分はもとは黒主と呼ばれていたが、今では山の神と人は見ていると言い、夕雲に隠れ志賀の宮へ帰って行きます。土地の者から志賀明神のいわれや志賀の山桜についてさらにくわしく聞いた臣下が、その夜桜の木陰で臥していると、歌舞の音がして黒主の霊が志賀明神の姿となって現れ、春を喜び聖代を祝い、神楽の舞を舞います。
じゃぁ、どうして、大伴黒主が、京都祇園祭の山になっているのよ?を 勝手に私が推測するに、昔、京都中京の中心で商業を活性化させたのは近江衆、近江商人だったなんてのを読んだことがある。そのあたりからきているのでしょうか?
春さめのふるは涙か桜花散るを惜しまぬ人しなければ
京都 祇園祭 黒主山
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黒主山
祇園祭
京都
posted by 祇園さん at 03:32|
黒主山
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2010年07月22日
孟宗山の御神体・写真 京都祇園祭
孟宗山 もうそうやま の御神体の 孟宗。親孝行の山でした。
それで、他の山のような、若干怖いという印象は
少なく感じました。(私、もともと特別に人形苦手なんですけどね)
妄想の山ならあんたの山だとご主人に言われた友達と、
兄弟から妄想壁があると言われた自分といっしょに行きましたが、
当人たち、全然妄想だなんて思ってないのだけれど、、。
孟宗、妄想は=もうそう=で読み方が同じ。何かかけてるんでしょうか?
ありえねーってやつ?
ファンタジックな人の守り神、孟宗山、ちがうかなぁ?
京都 祇園祭
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孟宗
孟宗山
御神体
京都
祇園祭
posted by 祇園さん at 23:13|
孟宗山
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新町通りを巡行する船鉾 祇園祭
新町通りを巡行する船鉾、狭い通りを通ると、すっごく迫力あるね。
横からも、かっこー!って声がとんでたわ。
ほんと、よかったわ。感動する。
京都 祇園祭 船鉾 巡行
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巡行
鉾
船鉾
posted by 祇園さん at 16:09|
船鉾
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八幡山、左甚五郎作の鳩 京都祇園祭
鯉山には左甚五郎作の鯉があったけど、八幡山には、左甚五郎作の鳩がある。
鳩は一対で、
八幡神の守り神は、鳩だった。
対の鳥ということで、夫婦仲良しのような気はするけど、
はっきりしたことは私にはまだわからないです、
八幡山 京都 祇園祭 鳩
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八幡山
左甚五郎
鳩
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祇園祭
posted by 祇園さん at 02:02|
八幡山
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2010年07月21日
鯉山の左甚五郎作の鯉 京都祇園祭
左甚五郎作の鯉が、鯉山にあります。鯉山はけっこう人気で、ちょっと並ばなければいけなかった。
左甚五郎の鯉の横は、
16世紀にベルギー・ブリュッセルで織られたタペストリー。
図柄は、
トロイ戦争を題材とした、ギリシャ詩人ホメロスの叙事詩、
イーリアスの一場面でのトロイ王の英姿です。
なぜ?祇園祭りに西洋のタペストリーが??
の鯉山の謎。
これ、おもしろいね。
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鯉山
左甚五郎
京都
ベルギー
ブリュッセル
タペストリー
posted by 祇園さん at 23:30|
鯉山
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岩戸山いわとやまの山 京都祇園祭
岩戸山は天の岩戸を開いて、天照大神(あまてらすおおみかみ)の
出現される神話に取材した山。
室町時代の狩野永徳画の、洛中洛外図屏風で、
すでに岩戸山は、車輪のついた曳山(ひきやま)
として、かかれている。
立派な山なんだ。
天照大神だからな。祇園さんが、牛頭天皇、スサノオの尊神を祀っているから、
兄弟の、月読尊の、月鉾と、天照の岩戸山と立派になるのだろうかな。
ラベル:
岩戸山
京都
祇園祭
posted by 祇園さん at 22:51|
岩戸山
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山伏山御神体の写真 京都祇園祭り
やまぶしやまの町屋にやはる状態の、御神体の写真です。
山伏山という名前は、御神体が山伏のかっこうをされていることから
こう呼ばれている。
昔、法観寺の五重塔(八坂の塔)が傾いたとき、
法力によってそれをなおしたという、
高名な山伏が、山間部に入って行く姿だそうだ。
京都 祇園祭 山伏山
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山伏山
御神体
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posted by 祇園さん at 13:10|
山伏山
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2010年07月20日
役行者山の御神体の写真 京都祇園祭
役行者山 えんのぎょうじゃやま
は、応仁の乱以前からの山です。
すっごいふっるイなぁ。
御神体は、修験道の開祖、役小角えんのおずと
一言主神と葛城神の三神。
役小角が一言主神を使って、葛城山と大峰山の間に
橋をかけさせたという伝承を想起させる、のだそうです。
京都 祇園祭
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役行者山
御神体
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posted by 祇園さん at 23:49|
役行者山
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八幡山はちまんやま 京都祇園祭り
八幡山の山の上の小祠は、総金箔の美麗なもので、天保年間1781ー1788のものと伝えられる。
八幡宮は、もともと下京にあったものを東山五条に遷る時、分祠されたと伝わる。
今の東山五条の若宮八幡さんは、八月の陶器祭りの祭神で、陶器と、美人の神様になっています。
この八幡山は、川崎家住宅<紫織庵>のとこにあります。
川崎家住宅は、お祭りの時、有料ですがみせていただくことができます。
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八幡山
京都
祇園祭り
posted by 祇園さん at 14:58|
八幡山
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